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チュ思想

 

日本全体を覆っている閉塞感についてはこの僕が改めて言及するまでもないし、政治的経済的な解決策は日本の偉いさんのお歴々にまかせておけば大丈夫だろうと他人任せな僕等は臥薪嘗胆な10年を強いられているわけである。

と、ここで待った。今、強いられていると、書いた。受け身である。
被害者意識がくしくも発露してしまってはいやしないか! これではオリンピック選手やらサッカー日本代表の選手に空港で“感動をありがとう”なんていう間抜けな旗を持って出迎える輩と一緒ではないか。感動をありがとうなんて言っている暇があれば、自分が人を感動させるような事をしてみたらいいじゃんと思う次第である。

 

そこでだ、己の手でこの日本の状況を打破する一撃を繰り出せないものか、曇天模様のこの日本の空に一条の光りを射し込ませる一陣の風を吹かせる事はことはできないのかね、おまいさん。
考えた、その昔達磨大師は悟りを得るために洞窟にこもり壁を何年も眺め続け悟りを開いたと言う。そこで僕は飯間さんが後でもう一度食べるために机の上においてある噛みかけのチューイングガムを眺めるという苦行を重ねる事30分、ビジョンは突如として目の前にあらわれた。ギャラクティカマグナム。
遠くのものは音に聞け、近くのものは刮目してみよ。チャハット流日本再生計画私案である。

あなたはついこんな事を口にしてはいないだろうか?
「部長のハゲいつも無理難題押し付けやがって。やってられないよ。チェッ!」
もしくは
「誰だ!人の家の門前に野グソしやがって、くさくてたまんないや、チェッ」

どこに問題があるか賢明な皆さんにはお分かりなのではないだろうか。そう、その通り、「チェッ」である。舌打ちの「チェッ」である。ここに日本再生の鍵があるとみた

。さあここで高らかに提案したい、今日からは「チェッ」という舌打ちの変わりに「チュッ」と少し唇をつきだし舌うってみようではないか。小さな「エ」を「ユ」に変えただけの「チュッ」である。

するとあら不思議、
「部長のハゲいつも無理難題押し付けやがって。やってられないよ。チュッ!」
「誰だ!人の門前に野グソしやがって、くさくてたまんないや、チュッ」

なにやらネガティブな感情が「チュッ」に浄化され、なにやら楽し気な微笑ましい感情が芽生えやしないだろうか。日本中の人が「チェッ」の変わりに「チュッ」と言ってみたと想像ごろうじろ、なんだかとってもラブリーな日本国誕生。これがチャハット流日本再生計画私案である。
なんだって、馬鹿らしいって。そんなこというなよ、せっかく考えたんだからさ、チュッ。

 

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