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2004年6月29日

人間はところてんなのか。

物には各々定められた容量と言う物が有り、一升瓶に一升しか入らないし、一斗樽には一斗しか入らないのは自明であり、温度や高度などの多少の不確定要素はあるものの無理からに容量以上のものを入れようとすれば溢れ出す、こぼれ出す。

同様に人間の記憶力にも定められた容量というものがあるのではないかしらん。コンピューターのハードディスクよろしく容量以上の物事を記憶することは出来ず、記憶するには過去の記憶を消去していかないといけないのではないかしらん。

このように思い至ったのは過日のこと、デザイナーの竹下とバイトのノブちゃんとよもやま話しながら車で移動していたのであるが、僕が真面目に話しているのにも関わらず、突然、竹下が全く関係ないことをぶつぶつとつぶやきはじめたではないか。一瞬呆気に取られた我々ではあったが、多少憤って「ちょっと竹下君、一体全体君は僕の話している事を聞いているのかね?」と詰問すると、意外や「ちゃんと聞いている。かくかくしかじかとあなたは言った」と僕の発言をそらんじるし、本人もいたって真面目な様子でその瞳に曇りはない。「それでは何故君は人の発言中にぶつぶつ喋っているのだね?」と言いかけてはたと気が付いた。もしや竹下の記憶容量がこの刹那に一杯になってしまったのではないかと・・・。新たに僕との会話を記憶するためには古い記憶を捨てなければならない。しかしこの男の構造はいたって単純であるから、新しい記憶に押されて、ところてんのように口から過去の記憶が溢れ出て来てしまっているのではないかと・・・。

あくまでも今の所仮説であって真相は不明である。近々竹下を寒冷地や熱帯に連れて行ったり、乾燥させてみたり、アルコールを与えてみたりして観察を続けたい。報告を待て。しかしこのような奇人変人に囲まれて仕事をする僕の度量は底無しの無限大ですな。

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