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争いについて

争っている。
世界のあちこちで争っている
相手の非を並び立て、自分達の正当性を政治家たちが大声で主張している。

 

圧倒的な兵力を背景に、閉ざされた住宅地を爆撃し続ける国。そんな彼らもかつては悲しい大虐殺の被害者だった。彼らは言う。あいつらが住民をたてにしているから犠牲者が増えるのだと。お互いが強弁をふるいロケット弾が行き交い、その下でたくさんの住民が犠牲になっている。

 

強制連行された従軍慰安婦などいなかったのだ!彼女たちは対価を得ていた売春婦だったのだ、という人々と、おばあさんを群衆の前に引っ張りだして、ここに生きている証人がいると声高にがなりたてる人々。このおばあさんのそばにそっと寄り添って、彼女の余生がせめても安らかに過ごせるよう見守られる人はいないのか。

 

紛争地域の上を飛んだ旅客機がミサイルで撃ち落とされた。お互いが証拠らしきものを出し合い責任をなすり付け合う。周到に用意された証拠、根回しされたイメージ、簡単に自分が騙されてしまうことを僕はイラク戦争で学んだ。いろいろなことがでっち上げられていたことがわかったのは、何年もたった後のことだ。

 

きっと僕など思いもよらない様々な事情を抱えた偽政者達は、各々の主張を繰り返す。それぞれ聞いているとなんだかどちらも、正しいように聞こえてくるから不思議だ。双方の主張を理解しようとし、目を凝らしてニュースを見ようとするけど、結局、真相は闇の中で、いつしかそんなことがあったことすら、忘れてしまうのだ。一つだけ確かなことは、無辜の民衆が歴史の犠牲になっているということだけだ。

 

争っている。
世界のあちこちで争っている。
どちらが正しいのか、どちらに非があるのか そんなことはもうどうでもいい。
わからなくていい。
とてつもなく悲しく、つらい思いをしている人がいる。
そのことだけは忘れたくない。
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